わたしにとってのよさこい⑧
ミコです!まさかの団長の後によさこいについて語るなんてプレッシャーがハンパないです笑。紅白歌合戦で自分の番がSMAPの後に来ちゃったみたいな気持ちです。
さて笑。
自分にとってよさこいとは何か!
まずは受動的な自分を、能動的な自分に変えてくれたものかなと思います。
自分が踊ることになったきっかけは12歳の時「幼なじみに誘われたから」。
正直すごいやりたかったわけでもなく、小学校の運動会で踊った金八先生の南中ソーランみたいな感じかな?というゆるい認識でとりあえずjoin笑。
そのままなんだかんだ思春期の多感な時期をよさこいにどっぷり浸かりながら過ごしました。
しかし、ギバチに入ると思い立った時は、ギバチを見た祭の帰り道からとにかく調べまくり、チームにメールを送りました。
絶対変な奴だった。自分でもあの勢いには驚きます笑。踊りを始めたばかりの時の自分とは対照的です。
もし受動的な自分のままでいたら、きっと今とは全く違う人生を歩んでいただろうなと思います。
また自分にとってよさこいとは、非現実に連れて行ってくれるものだと思っています。
なんでそんなんなっちゃったかというと笑、踊り始めた頃は、「なんか大人たちが頑張ってるな〜」という気持ちで踊っていたのですが、だんだん「踊りが楽しいかもしれない」「お客さんが喜んでくれるのって嬉しい」と推移。
ボーッと踊っていた自分でもある程度動けるようになってくると、今度は「あのカッコよく踊る人と自分の踊り方は何が違うんだろう?」と疑問を抱くようになりました。
圧倒的に欠けていたのは、踊らされているという意識ではなく、自分を見せに行くという意識。
そこの殻を破るのが当時中学生だった自分には恥ずかしく、苦労しましたが、「踊っている時の自分は自分じゃない!別の人!!」と思い込むことにより、覚醒する方法を覚えました笑。
衣装着てメイクして髪型きめて、大音量の音楽の中ステージに立てば、もうそこにいるのはわたしではなく、1人の踊り子。
後から動画を見て自分こんなんやってたんだなーと思うことがほとんどです笑。
何年に何の曲やったっけ?とか、どこの祭りのどのステージがあったっけ?とか本当に呆れるくらい覚えていないことが多くて、友達と話していても話が噛み合わない!!!
あとは自分の人格形成において少なからず、いや、かなり大きな影響を与えているのは事実だと思います。
若い時はとにかく自分!自分!!で、周りが見えていない時期もあり、踊り方にも出ていて、今思うとみっともないです。
それがいいんだよって言ってくれる人もいましたが、まあちょっと落ち着けよとラーメンでも奢りながら話を聞いてやりたいです、自分と笑笑。
人に何かを教えたりまとめたりする器ではないのかなーと今だったら思えます。
ここからはほとんど余談になりますが、、、、、、、、、
わたしは一旦踊ることをやめているのですが、おこがましくも「下の代に譲らないといけない」という考えに至り、チームを卒業したからです。笑笑
あとは大賞を狙わないといけないのではないかというプレッシャー下に長年置かれていたので、メンタルもやられていたように思います笑。
タイミングも相まって引越しでさらに遠く離れた土地に住むことになり、そのチームではもう物理的な距離でも踊れなくなってしまいました。
引っ越し先で何度かよさこい祭りを見かけるも、前のように踊りたいという気持ちは起こらず、よさこいはわたしの中で過去の思い出へ。
数年後。
突然、友達の応援でも行こうかなと思い立ち、海を越え山を越え某祭りに!
これですよこれ〜とひさびさによさこいを楽しむ気持ちになれていました。
完全にリハビリが完了してますね笑。
そしてよさこいの醍醐味、流しを見るために、張り切って観客席の最前列、むしろ道で待機。
なんか遠くの方からちょっと違う空気が流れてくる。
そのチームがギバチでした。
「わたしこれになりたい。なる。」と衝撃を受け、今に至ります!!笑
ギバチに入ってからも、自分の踊り方について迷いが出ることがあります。
主張と悪目立ちは違うし、個性の抑圧もつまらない。この世界観を共有したい。世界観を崩さずに、自分の踊りを踊る方法とは、、
そういった意味でも、「また一から踊りを始めるつもりで踊ってます」と今年の抱負のところにも書かせていただきました!
やっぱり長くなってしまいました。笑
そういうたくさんのことをよさこいで学べたと思うので、もし間違った方向に行ってしまっていたら今頃、周りの冷ややかな目に気付かず広場の土管の上でリサイタルを始めてしまうジャイアンになってたかも、、、、、、、、、
いまでは、すっかりしずかちゃんになってしまいました。
笑
次はエミさんお願いします!
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